【医療介護あれこれ】BCPを考える

こんにちは、長パートナーよりコラムが届きましたのでご紹介いたします♪

10年前の3月11日・・・私は病院のロビーでこの東日本大震災を知りました。まるで映画のCGのように、津波が押し寄せて、家も車も田畑も飲み込んでいく様は、ものすごい衝撃で、今でも当時の映像を見ると締め付けられるような苦しさを感じます。
また、その後熊本の震災、西日本豪雨など、自然災害に遭遇し、昨年はCOVID-19に見舞われました。皆様は何をお感じになったでしょうか?

今回、「医療系事務職員のためのオンライン研究会」で、石巻赤十字病院の事務長が当時のことを話してくださいました。
その話をお聞きして、考えたことをお話したいと思います。

石巻市は津波の直撃を受け、甚大な被害を受けた町・・・という認識で、報道番組により得た話と、D-MATに参加した知人からの話で、大変な状況だったことは伺っていました。
しかしながら、実際にその場で対応をされた方のお話は想像をはるかに超えていました。医療の現場であっても、医療を必要とする方以外の方が押し寄せ・・・戦場の様だったと・・・。
町全体ががれきと化していた状況からすると、免震工事をされ、非常用電源で明かりがともった病院は、地域の住民からすると頼みの綱だったのでしょう。けがをした人だけではなく、様々な方が来院されていて、混乱を極めていたとのことでした。

福岡市でも、大きな地震がありました。福岡西方沖地震の時は、私は病院勤務をしていましたが、津波もなく、病院自体が大きな被害を受けたわけではなかったのですが、医療継続の為「水の確保」「食料の確保」「透析等の生命維持装置や必要とする患者の受入れ」など、BCPについて考えるようになり、自販機を入れ替えたり、備蓄量の見直しをしたり、井戸水を検討したりと、様々に対応をしたことを覚えています。

さて、話を戻しましょう。災害拠点病院でもあった石巻赤十字病院では、様々な災害を想定したBCPを作成し、常日頃から、災害時の人員配置・役割分担等が明確にされており、それは委託職員も含めてどう対応するかが決められていたとのこと。
BCPの中で、災害時は「紙カルテ」の対応で、どのように行うのかを近隣の公的施設(行政、消防署、他)を含めた訓練を年1回、細かな事象ごとの訓練・・・トリアージや防災テントの立上げ、無線、等々、災害救助課を中心に小さな訓練は頻繁に行っていたこともあり、地震が起こって1時間程度では、災害本部を立上げ、非常用のベッドや重症度によるエリア分け、トリアージ対応部門などを立ち上げて準備をされていたとのことです。
実際には・・・想定している以上の状況(ケガや医療を必要としている人以外が多数避難してきた)があり、医療現場は大混乱・・・
その中で、事務職員の対応力が功を奏していたというお話をお聞きしました。
その時の状況に合わせ、委託職員も含め、最善の方法を考え独自に動くことができていた、ずいぶん助けられたといわれていました。
現場では、時間を追ってどんどん変化する状況に合わせ、立場が違えば気付くことも違ってきます。各セクションには司令塔がいて、情報を集め話を聴き、指示すると同時に、事務スタッフも含め、自分たちで考え行動を起こしていくということの大事さが伝わる内容でした。

災害時にはトリアージが重要だということが言われています。最近ではテレビのドラマでもそのシーンが流れることもあり、皆さんもイメージしやすいのではないかと思いますが、実際に来院される方は、「トイレを借りたい」「赤ちゃんのミルクが欲しい」「寒いので建物の中で休みたい」「家族を探している」・・・という、実に様々な方が、医療の現場に入ってきて、さらに混乱を極めていたとのことです。
そのような状況になった時、皆さんだったら、どうしますか?
石巻赤十字病院では、医療現場のトリアージゾーンに行く前に「プレトリアージ」として、病院の玄関に事務職員を置き、交通整理をされていたそうです。ただでさえ緊迫し混乱している医療現場への負荷をおさえ、できるだけ医療に集中させるためにはとても重要なことだったと振り返っておられました。
また、職員や患者の食料の確保、非常電源を動かす燃料、エレベータが使用できないため資材関係はすべて、人力で運ぶ必要があったこと、院内のPHS等の使用ができず、情報収集も人海戦術だったこと・・・などなど、考えさせられることばかりでした。
その中で、院内には次々に患者が搬送されてくること、そして、その方々のベッドや治療スペースを確保するために治療終了後の方々の後方支援が重要だったことも・・・

先日、同じく宮城県で大きな余震がありました。この時は、夜遅い時間だったにも関わらず、自主的に職員200名余が病院に登院してこられていたそうです。即時立ち上がった災害本部で検討し、安否確認システムを活用して、これから登院しようとしている方は、自宅待機という連絡を入れ、その伝達発信に活用をされていたそうです。
それにしても、夜中にまだ余震が続いている中、多くの方が病院に集まられるというのは、本当に医療機関の皆様の使命感には頭が下がります。

この中で、医療機関の事務員として、押さえておくべきことがいくつかあります。
職員も被災するかもしれない中で、どのような状態になったら、何をやるか、何をやらないかをあらかじめ話し合って決めておく、ということです。クリニック等の小規模事業所であっても、日ごろから話をしておくことは大事なのではないでしょうか。

これまで私は、職員の無事を確認することとともに、自院の診療体制を確保するために、どれだけの人手が確保できるかということを把握することが大事だと思っていました。このために「安否確認システム」を活用する必要があると考えていました。
しかしながら、COVID-19の感染疑いや自宅待機等の状況を経験して自院のことだけを考えていてはいけないのではないか、と思うようになってきました。生活をとめるわけにはいきません。地域の中で、協力しあえる体制を構築してこそBCPの意味があるのではないか、と考え始めていたわけです。
今回の話は、そのことを裏付けするような内容だったと思います。安否確認をして、「さあ仕事に出てきなさい」、というのではなく、その中で、やるかやらないかの判断をして、「できないこと」に関しては、できるところと協力をして地域の中での診療体制・介護支援体制を確保することが必要でないかということを考えたのです。

また、職員の安否確認の方法をシステム化しておくことも必要かもしれません。
但し、この安否確認についても、使用できなくなることは前提で考えておくことも必要だと思います。石巻赤十字病院でも5割程度の活用状況だったとのことでした。もっと現場に近い形で、連絡を取り合える方法を検討することが必要かもしれません。

今年は介護報酬改定の年ですが、介護報酬の要件の中に、感染対策、安全対策の構築と共に、「BCPの策定及び地域を巻きこんだ訓練の実施」というものが入ってきました。
3年間の経過措置がついていますが、今回、石巻赤十字病院の話をお聞きして、改めて、地域の中で災害時にはどのような体制で、住民を支えるのか、介護事業所も協力をするように、というメッセージを感じています。

皆さんはこの3.11から10年たったことをどのように受け止められたでしょうか?
これを機会に皆さんは何を考えますか?
地域を支える医療機関・介護事業所として、是非「もしも」の話をしてみてください。

パートナー 長幸美